2022.10.20 upload
Ålborg (オールボー) インタビュー
年を重ねても歌えるような歌を歌いたいし、年をとってもかっこいい歌を作りたい、っていうのは基本的な意識としてあります
―― みや
ある日、エルモア・スコッティーズのボーカル&ドラムであり、NITRODAYとbetcover!! のドラマーでもある岩方ロクローから「Ålborg(オールボー)というバンドを始めたので音源を聴いてほしい」と連絡がきた。メールに添付されていたのは後に「Girl」「Stray cat」と名付けられることになる2曲だ。「Girl」を再生した途端、これはいいバンドだ、と思った。例えば「Girl」がAppleMusicのMUSIC1で流れきたら、間違いなくプレイリストに入れたと思う。アコースティックギターによるフォーキーな世界観とオルタナ感を引き出すエレクトリックギター。出しゃばらないリズム隊に英詞。「Girl」も「Stray cat」も時代にアジャストしたオルタナティブロックそのものだ。そして極め付けは要所に入ってくるトロンボーンだ。このトロンボーンが入ることで、オールボーが創り出すオルタナティブロックにさらに新しい風を吹かせている。サブスクリプションによって今や国籍も何も関係ない。MUSIC1では英米の楽曲はもちろん、スペインやアフリカや日本のアーティストの曲も同じように流れてくる。それがカレッジラジオになるとさらに広がる。そういった環境の変化がオールボーのようなバンドを生んでいるのかもしれない。ツイッターのフォロワーは100人弱。ライブは現時点で3回しかやっていなくて、お客さんも20人程度。しかし彼らにはそういった数字だけで語れない魅力と価値がある。くしくも事の始まりは甲本ヒロトが書く普遍的な曲だったという。1985年にブルーハーツと知り合ってずっと甲本ヒロトの音楽活動を追いかけてきた筆者がオールボーの音楽の虜になるというのも面白い話だ。オールボーのボーカル&ギターのみやに話を訊いた。
●取材・文=森内淳
―― 最初に音楽に興味を持ったのはいつ頃なんですか?
みや 音楽は子供の頃から聴いていたんですけど、最初にギターを弾き始めたのが小学5年生の頃ですね。
―― 小5ですか!? それは何かきっかけがあったんですか?
みや 当時すごく好きだった甲本ヒロトさんに憧れてブルーハーツをコピーしたんです。「リンダ リンダ」とか「人にやさしく」とかを弾き始めて。ちょっとギターに興味を持っている同じクラスの友達とちょっとしたバンドを始めて。それが中学生くらいの頃までなんとなくつづいたのが最初ですね。
―― 早くも小5でバンドをやってたんですね。そのときはブルーハーツのコピーをやっていたんですか?
みや ブルーハーツのコピーでしたね。妹も一緒にいて。3人でやってました。ただ、ブルーハーツをやりつつ、オリジナルもやってました。
―― オリジナルも!?
みや 初めてオリジナル曲を作ったのは小学生の頃でした。
―― すごいですね。それはどんな曲だったんですか? ブルーハーツっぽい曲?
みや ブルーハーツっぽいんですかね? 自分のなかではパンクミュージック、ロックだと信じてました(笑)。
―― なるほど(笑)。
みや 私は音楽ももちろん大好きなんですけど、音楽を作る上で大事にしているのが歌詞なんですね。
―― あ、そうなんですね。でも、今は英詞ですよね?
みや 今は英語の歌詞を書いて、テイストもだいぶ変わっているんですけど、私のなかでは小学生の頃、初めて作った曲からそんなに変わってないんじゃないかな、と思うんですよ。
―― というと?
みや 私が日々感じたことを素直に書いているという。
―― そこが大事なんですね。
みや そうです。
―― だけど、みやさんは今23歳で、小学生の頃といっても、ブルーハーツはとっくに解散してますよね? 甲本さんが書く曲のどこに感銘を受けたんですか?
みや ヒロトさんの書く曲は普遍的というか。しかも子供の頃の私にもわかる、わかりやすい歌詞だったので響きましたね。
―― ブルーハーツ以外ではどんなバンドを聴いていたんですか?
みや 銀杏BOYZとか後藤まりこさんのミドリとかサンボマスターとか聴いてました。親の影響ももちろんありましたけど、元からパンクは好きだったんですよ。
―― 小学生のみやさんはパンクロックのどこに惹かれたんでしょう?
みや やっぱりわかりやすいところかな。小学生の私にもわかりやすかったですね。
―― そのバンドはどんな感じで活動してたんですか?
みや 私たちのおうちの近くにある公民館みたいなところでちょっと演奏したりしてました。だけどライブハウスで演奏するとかは全然やってなかったですね。
―― どれくらいつづくんですか?
みや 中学生までです。そのお友達と高校が別々になってしまって、終わってしまいました。
―― それは残念ですね。高校では別のバンドを組んだりしたんですか?
みや 今、オールボーでトロンボーンを吹いている、くるみちゃんと高校で出会って。あともうひとりメンバーを入れて3ピースのバンドをやってました。
―― そのバンドもパンクバンド?
みや 炭酸ガールズというバンドで、パンクバンドみたいなことをやってましたね。
―― パンクから離れないんですね(笑)。
みや 離れなかったですね(笑)。ずっとパンクでした(笑)。
―― 相変わらず日本のパンクバンドに影響を受けながら活動したんですか?
みや その頃は海外のアーティストも聴いてました。ディセンデンツとか。あとはファット・レック・コーズのNOFXとか。
―― パンクのなかで音楽性が広がるわけですね(笑)。炭酸ガールズはどこで活動してたんですか?
みや 初めてライブハウスにいろいろ出させてもらったりしたのが炭酸ガールズのときです。大岡山とか渋谷とかでライブをやってて。
―― 大岡山にライブハウスがあるんですね。
みや 大岡山PEAK-1というライブハウスがあったんです。で、そのとき出させてもらっていたライブハウスのひとつが横浜BBストリートだったんです。
―― なるほど。今のオールボーのメンバーのホームグラウンドですよね。
みや そうなんです。BBで出会ったトウキョウタニシメモリーズというバンドと一緒に演奏することになって。そのイベントに参加していたバンドがエルモア・スコッティーズで、そこで(岩方)ロクローとクヌギっち(功刀源)と出会いました。
―― 2人はエルモア・スコッティーズのメンバーなんですからね。
みや それで、そのときに音響をやっていたのがオールボーのベースのかまちゃん(かまたたつや)で。
―― あ、そうなんですね。
みや それが今のメンバーとの最初の出会いでした。出会ってからもう5年くらい経ってるんですね。
―― だけど、そこでオールボーが誕生するわけではなく、今のメンバーと知り合ったというだけなんですが、炭酸ガールズはその後、どうなるんですか?
みや 炭酸ガールズを組んでいたのは高校の3年間で、そのあとは大学がみんなバラバラになってしまって、解散じゃないんですけど、活動休止になって。
―― 前のバンドと同じパターンですね。
みや ただ私はまだ音楽を続けたかったので、妹と一緒にThe 387というアコースティック・デュオをはじめました。
―― The 387はどんな音楽をやってたんですか?
みや パンクの心意気ではあるんですけど、音楽的にはフォークでした。妹もカスタネットを叩いたりして。
―― たしかにアコースティックギターとカスタネットって斬新な発想ですね(笑)。
みや メンバーがいなくて、エレキギターとカスタネットじゃしょうがないからフォークギターでやってって感じですかね(笑)。けっこうそれがみんなから「面白いね」って言われて。「面白いのかな?」と思いながらつづけていくうちに妹もカスタネットからリコーダーになって、不思議な音楽をやっていましたね。
―― アコースティック・デュオだから音楽性が変わったのか、パンクとは違う音楽をやりたくなったから変わったのか、どっちだと思いますか?
みや どっちもあるかもしれないです。メンバーがいなくてアコースティックになったからっていうのもあるんですけど、今、考えると、ちょっとアコースティックギターにも興味があったというか、アコースティックギターで歌える曲をやるバンドをやってみたかったのかな、と思いますね。後付けですけど。
―― ということは聴いている音楽も変わっていった?
みや 大学生のときはパンクを聴きながらも、他の音楽を聴くようになっていました。だから今の私は、パンクが中心にあるわけではなく、パンクで育ったけど、他の音楽も吸収したっていう感じです。
―― そうやって音楽の幅が広がっていくなかで、自分が作る音楽のテイストも変わっていったりしましたか?
みや そうですね。でも劇的に変わったのは、1年ちょっとデンマークに留学をしていたんですね。そのときに出会った友達からの影響が今のオールボーの音楽を作っている一番の源になっていると思います。
―― いよいよオールボーに近づくんですね。だけど、なんでデンマークだったんですか?
みや 元々旅行が好きで、ひとりでいろいろなところに行ってたんです。それであるとき、ヨーロッパを放浪していた時期があって。そのときにスウェーデンとかフィンランドとかに行ったときに、すごく北欧が好きだな、って思って。ヨーロッパはいろいろ散歩したんですけど、帰ってきてから「またあそこに戻りたいなあ」と思って、貯金をして20歳のときにデンマークに行きました。
―― デンマークの大学に編入したんですか?
みや 編入ではないんですよ。デンマークにはフォルケホイスコーレというシステムがあって、社会に出る前に何かをやりたいという人たちが集まる全寮制の学校で、入学して5ヶ月で卒業する学校で、興味がある違う分野の科目をとりたければ、何回でも入学して学習できるシステムなんです。だから留学といっても、テストもないし成績も関係ない自由な学校で。
―― 外国人にも門戸を開いているんですか?
みや 受け入れてくれるんです。
―― 素晴らしいシステムですね。
みや そうなんです。素晴らしいんです。そこでソングライティングの授業を受けて、初めて英詞の曲を作って。そこから「あ、英語で歌詞を作るの、けっこう面白いな」と思い始めて。
―― そういえば、オールボーというバンド名はみやさんの留学先の街の名前なんですよね?
みや 留学先はオールボーからちょっと離れた田舎町です。バンド名は私が提案したわけじゃなくて、たしかロクローだったような気がします。かまちゃんも言ったかもしれないです。「オールボーでいいんじゃない?」って。「えー!」って言ったんですけど、いつの間にかオールボー名義で曲を出しちゃって、もう変えられないよって(笑)。
―― オールボーの音楽性はパンクとも違うしThe 387とも違うんだけれども、それはデンマークという環境が影響しているんですか?
みや そうかもしれないですね。あと、私のなかで反抗心が落ち着いたこともあるかもしれないです(笑)。
―― デンマーク留学で反抗心が落ち着いてオールボーになった?
みや 身の程を知るって感じですかね(笑)。
―― じゃデンマークで英詞を書いて曲を作っているときに、みやさんのなかで鳴っていた音楽は今のオールボーに近かったわけですね。
みや 近いです。だいぶ近いですね。そのときからロックなんだけど、ベースにフォークがあるような音楽をやりたいな、とは思っていました。デンマークで組んでたバンドもそんな感じで。
―― デンマークでもバンドを組んでたんですか?
みや 組むっていうほどでもないんですけど、バンドをやるっていう授業っていうか、バンドを組むことがあって。
―― じゃみやさんの楽曲はオールボーの前に、すでにデンマークのバンドで鳴らしていたんですね。
みや 一度だけ「Girl」をやりましたね。ただやったってほどでもないんですけど。街中で一回ギグをやったという感じで。
―― そのときの「Girl」の満足感というのはどういったものでした?
みや 満足してました。ただ、今のオールボーのサウンドのほうが好きかもしれないです。デンマークでやったときのサウンドはすごく遠くから見れば今のオールボーのサウンドに近いんですけど、今のオールボーの方が、私が求めているサウンドに近いです。あと、私は自分の声に自信がなくて、今もないんですけど、他の人に歌ってもらったりしてたんですよ。今は自分で歌えてるので、そこは違うかな、と思います。
―― 帰国してオールボーを結成するんですけど、それはどういう経緯で?
みや 留学から帰ってきたときに、ロクローたちと会って「みやちゃん、何をしてるの?スタジオに入ろうよ」って言われて。かまちゃんは元々The 387のレコーディングとかを手伝ってくれてて、私と妹とくるみちゃんとロクローとクヌギっちとかまちゃんの6人でThe 387の曲をやったりもしていたので、「久しぶりにやるか」って言って、スタジオに入ってオールボーが始まったという感じなんです。
―― そのときは、みやさん主導で、確固たるサウンドのビジョンを目指してやった、という感じなんですか?
みや 全然そんなことなくて。みんなで作っていった感じです。「最近、どんなの聴いてる?」「こんなの聴いてる」って持ち寄って、「それ、かっこいいね」みたいな感じで、みんなで作ってきました。「クヌギっちのギターはこうした方がいいよ」とかそういうことは全く言ってないです。みんなで手作りでやっている感じですね。
―― あ、そんな感じなんですね。それで満足のいくサウンドができていれば言うことないですね。
みや みんな、すごく私のことをわかってくれてるっていう(笑)。
―― なるほど。逆にみやさんが目指すサウンドをみんなが汲み取ってくれてるわけですね。
みや とくにクヌギっちなんて、かっこいいギターを弾いてくれてるんで。
―― たしかにクヌギさんのギターがオルタナ感を出してますよね。
みや ああ、なるほど。
―― そこは今いちわかってない感じなんですね(笑)。いや、実は、先日、ライブを見せていただいたんですけど、みやさんはフォークやカントリーをやっている気分なんじゃないかな、と思って。
みや ほんとにそうですね。
―― だけど出てる音はすごく新しいという、そういう不思議さがあって。クヌギさんのギターもそうなんだけれども、とくにトロンボーン。トロンボーンを入れたというのがめちゃくちゃ新しくて。このアイデアはどこから出てきたんですか?
みや うーん、覚えてないですね。
―― みやさんのアイデアじゃないんですか?
みや 全然! トロンボーンはくるみちゃんがやってるんですけど、中学生のときに入っていた部活でトロンボーンをちょっとかじってたんですよ。それかトロンボーンを持ってたのかな。そこは不確かなんですけど。元々くるみちゃんは炭酸ガールズでドラマーだったんですよ。ただロクローがドラムをやることになってたんで、「くるみ、何をやる?」みたいになったときに、「私、トロンボーンでもやろうかな」って(笑)。「いいよ、やんなよ」って。で、吹いてみたら「案外、いいじゃん」って(笑)。
――案外いいじゃんって……そんな感じでトロンボーンを?
みや そうなんですよ。くるみちゃんも最近トロンボーンを練習し始めたので、元々トロンボーンに関して特別強い思いがあったとかではないと思います(笑)。
―― 成り行きなんですか!?
みや そう。全部、成り行きです(笑)。
―― だけど楽曲のなかで本当にここしかないっていうところでトロンボーンが入ってくるじゃないですか。
みや それはくるみちゃんのセンスですね。私はくるみちゃんのセンスをすごく信頼しているので。かまちゃんはベーシストってだけじゃなくてトランペットも吹くので、金管っていう意味ではかまちゃんもくるみちゃんに「こんなの、入れたらどう?」って言ったり、みんなで「こんなの吹いてほしいな」って言ったり。そしたらくるみちゃんが「じゃ練習してみる」って。
―― 最初に曲を聴いたときからオールボーって新しいオルタナバンドだという認識がぼくのなかにあって、みやさんのプロデュース能力ってすごいんだろうな、と思っていたんですよ。
みや 私はたまたま真ん中に立って歌ってるだけで、私は本当にただのメンバーの一人です。
―― マジですか(笑)。
みや みんなのおかげです。私の作った歌で演奏してくれてありがとうっていう感じですね(笑)。
―― でもまぁみやさんの作る楽曲がいいっていうのが基本なんですけどね。
みや ありがとうございます(笑)。
―― だからどんな音楽に影響を受けたんだろうっていうのがあって。
みや 20歳以降、いろんな音楽に影響を受けましたね。
―― ビートルズ感もあるし。
みや ビートルズも大好きです。
―― 長く聴ける楽曲を作ろう、という意識はあったりするんですか?
みや それは当然のこととして自分のなかにあったかもしれないです。年を重ねても歌えるような歌を歌いたいし、年をとってもかっこいい歌を作りたい、っていうのは基本的な意識としてあります。それは音楽もそうだし、すべてにおいて、例えば着ている服も、話す言葉もできれば時代にとらわれないようなものが好きかもしれないです。
―― そういう考えはいつ身につけたんですか?
みや 元々その逆の考え方を持ってなかったかもしれないです。
―― そうか。だからオルタナから影響を受けたとかそういうんじゃなくて……
みや ただ、いい歌を聴くっていう。
―― 時代にとらわれないものを目指したら時代ともリンクしていたという。
みや いろんなバランスがたまたまよかったんじゃないか、と。だからバンドメンバーにラブですね。本当にメンバーのひとりでも欠けていたら違うものになっていたと思います。
© 2022 DONUT
INFORMATION
配信シングル「Girl」
配信リンク:https://friendship.lnk.to/Girl_
■Spotify
配信シングル「Stray Cat」
配信リンク:https://friendship.lnk.to/Stray_cat
■Spotify
ライブ情報は公式ツイッターでご確認ください。
■公式ツイッター:https://mobile.twitter.com/aalborgjp