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2024.3.04 upload
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特集:Dolby Atmos® ✕『Band On The Run』

ドルビーアトモスの『Band On The Run』はオリジナルミックスとは全く別な考え方で作られているんじゃないかと思いましたね
―― 富澤タク
すごく新しい環境で聴いているのに、懐かしさはそのまま残っている感じがちょっとトリッキーな体験でしたね
―― George

グループ魂やNumber the.のギタリストでありながら、プロデューサーとしても活躍している富澤タクとYOASOBIやASIAN KUNG-FU GENERATIONなどでサウンドプロデュースやキーボードを担当しているGeorge(MOP of HEAD)に、ポール・マッカートニー&ウイングスの名盤『Band On The Run』をDolby Atmos®(ドルビーアトモス)で聴いてもらった。このドルビーアトモス版の『Band On The Run』はApple MUSICとAmazon Musicで配信されているフォーマットでジャイルズ・マーティンとスティーヴ・オーチャードが新たにミックスを手掛けた。通常、音はスピーカーの方向から聴こえてくるが、ドルビーアトモスは自由自在に空間に音を配置できるシステム(くわしくはWEB DONUTのドルビーアトモス特集を参照:https://donutroll.tokyo/wd/20210706_dolby.html)。最新機器を備えた映画館で体験した人も多いと思う。今回はDOLBY JAPANの協力のもと、ドルビーアトモスに対応したオーディオシステムを持つ試聴室で二人に体験してもらい、『Band On The Run』のドルビーアトモス・ミックスの面白さや可能性について語ってもらった。ちなみにiPhoneとAirPodsの組み合わせが一番手軽にドルビーアトモスを体験できるという。さらにWEB DONUTでは『Band On The Run』についてのポール・マッカートニーのインタビューも掲載する。

●撮影=岩佐篤樹 取材=秋元美乃/森内 淳 協力=DOLBY JAPAN



―― まずはウイングスや『Band On The Run』の印象を聞かせてください。

富澤タク ビートルズがバンドを始めたきっかけにもなっているので、まずビートルズから入って、そのあとにソロアルバムをランダムに聴いていきました。とくにジョン・レノンとポール・マッカートニーは、名コンビが分かれた後に各々どういう作品をつくったのか興味津々で。で、『Band On The Run』はジャケットのビジュアルも映画っぽいというかモダンな感じがして、ポールのソロワークのなかでも印象深い1枚ですね。

George ぼくもビートルズがすごく好きなんですけど、そのあとにポールのソロを立て続けに聴いたかというと意外にそんなことはなくて、ビートルズを聴いている流れでポールのソロを聴いたり、ウイングスのライブ映像を見たりしていましたね。ウイングスは想像していたよりもアカデミックというかジャンルが変わってきてるんだなという印象があって。それまでは「いいメロディを書く人」というイメージだったんですけど、サウンド的にもけっこう実験的で。『Band On The Run』でポール・マッカートニーの印象が変わリましたね。あとウイングスについてはポール・マッカートニーが奥さんとバンドをやるっていうのがなんか不思議だなとずっと思ってました(笑)。

富澤 ポール・マッカートニーは最初バンドではなくてソロで出していましたが、それではなにか物足りなくて少し無理めにウイングスを作ったのかな、と勝手に想像していましたね。自然発生的、必然的に集まった、いわゆる「バンド」というよりは、実質的にはソロなんだけど、かたちはバンドにしたいという気配? それがポール・マッカートニー&ウイングスの個性をより際立たせていると思うんですが、「バンド」としてはビートルズの流れからすると、もうひと押し欲しい、みたいな第一印象も個人的にはありましたね。音的な挑戦や冒険は感じるんですけど、自分以外の誰かと切磋琢磨してチームで多様な作品を生みだしていたビートルズの時代とは少し違うのかなあと。

George 例えば『Band On The Run』発売当時、ウイングスから入ってビートルズを聴き直す人はいたんですかね? それによって『Band On The Run』やポールのミュージシャンとしての印象が変わりそうですよね。ウイングスからビートルズとなると、ウイングスになったことによってポールはやっと自由になれたんだと思う人もいそうですしね。バンドとして何かを作っているというよりはポールが自由に舵を取っているなあという印象は強いんじゃないですかね。

富澤 ウイングスはバンドスタイルではあるんだけど実際は限りなくポールのソロに近いものだったのではと思いますね。



―― お二人には今日『Band On The Run』をドルビーアトモスで聴いてもらいました。

George ぼくはヨーロッパの音楽やバンドが好きなので、日本の音楽は歌が大きいなと思っていて、過剰に歌が大きくなるようなミックスは自分ではあまりしないようにはしているんです。最近だとローのベースだったりドラムのキックだったりっていうのを意識するようにはしているんですけど、ドルビーアトモスとなると全然話が変わっちゃうと思いましたね。ちょっと今後、音楽の作り方もいろいろ考えなきゃいけないな。今まで聴いてきた音とどっちがいいか悪いかではなくて、価値観がちがうというか。『Band On The Run』を聴いていても、楽器の演奏が全部見えてくるんで、ちょっと衝撃的でした。

富澤 演っている人の気配や空気感とか、具体的にいうと声の襞(ひだ)とか、ギターとかもそうなんですけど、すごくデリケートな歪みの部分も大切にミックスされていると感じました。S/N感もいいし残響音もきれいですよね。だけど、今日、聴いたドルビーアトモスの『Band On The Run』はオリジナルミックスとは全く別な考え方で作られているんじゃないかと思いましたね。定位感とか音の置き方や振り方とかレコードとはまた別の意味で、今の時代でしか表現でき得ないシステム・音・楽しみ方を提案してくれているのかなと思いました。例えば目を瞑って聴くと本当に包まれているような感覚がして、映画館にいるような、映画を見ているような感じさえしましたよね。

George ドルビーアトモスによってなのかはわからないのですが、空気感がすごく増しているようには聴こえました。スタジオのなかに自分が入っている感じで聴いてるような感覚があって。今回のミックスでリバーブをどのくらい足しているのかすごく気になりました。すごく自然に聴こえたので、今っぽいミックスはしていないんじゃないかなと思うんですよね。定位はけっこういじっていると思うんですけど。すごく新しい環境で聴いているのに、懐かしさはそのまま残っている感じがちょっとトリッキーな体験でしたね。

富澤 そういう意味ではちょっとしたアトラクション体験みたいな感じはしましたね。ドルビーアトモスの場合、従来のステレオミックスではあり得ない音の配置というかときには真横から突然ギターのバッキングが聴こえてくるんだけど、リフは斜め前から聴こえてきたりとか、上下や前後の音場含めてドルビーアトモスでしか味わえない感じがありましたね。あと楽器ごとの分離感がすごくあって、ベースとメインボーカルとドラムは真ん中周辺にあって安心して聴けるし、奥行きも適度なゆとりを感じましたが、おそらくその辺を基礎として他の音をどこまで広げるかというテーマで作っていったのかなと。そういう想像を掻き立てられるのもすごく楽しかったですね。



―― ドルビーアトモスによって新たな発見はありましたか?

George ポール・マッカートニーのベースってローがあまりないと思っていたんですけど、ローは出しているんだなと。弾き方によるものなのかもしれないですけど、そんなにロングトーンな感じがないので、音が短いんだなと思いましたね。それから最後の「Nineteen Hundred and Eighty-Five」もそうですけど、キックの音圧があって、ダフト・パンクみたいだなと思って聴いていました。当時のエンジニアのマインドなのかポール・マッカートニーの意思なのかわからないですけど、ローに対する発見はありましたね。あとは相変わらずコーラスワークは素晴らしい包み方をするなと。ビートルズのときからの伝統芸能だなと思いましたね。

富澤 各コーラスパートの声の始まりのちょっとしたズレとか、終わりの切れ方のちょっとしたズレも、耳をそばだてなくてもリアルに伝わってきましたよね。そこでやっぱり生の人間が歌っているという様子がはっきりわかるというのはゾクッとするというか、聴いていて面白いし爽快感がありますね。

―― ポールはこのアルバムで変なことをたくさんやっているんですけど、それがより鮮明になって耳に飛び込んできたような気がしました。

George (アルバムタイトル曲の)「Band On The Run」の曲の構成もなんか変ですよね。あえてなんだとは思うんですけど。

―― 3曲が1曲になっているんですよね。

George そうですね。構成としてはそうなっていますよね。

富澤 この曲ならではの独創性を感じますよね。1つ1つのパートがキャッチーにかっちり作られていて、それがまたブロック状に自然な流れで組み合わさっている。その辺のポールのセンスの凄みがより伝わってきましたね。

George そうやって伝説を作ってきた人がミュージシャンとして存命しているわけじゃないですか。今、こういう技術があるなかで、あれだけのヒットを作ってきた人にドルビーアトモス用のアルバムを作ってほしいですよね。やってくれそうな人ではあると思うんですよ。それも聴いてみたいなと思いますね。

富澤 たしかに今後ドルビーアトモスが定着したときに、これを前提とした楽曲制作っていうか、この条件を最優先で作ったら、すごく面白いものができるんじゃないかなと思いますよね。異体験というか、今まで体験できなかった新しいものができるというか。元々ドルビーアトモスを想定していなかった『Band On The Run』がここまで新構築できるということは「ドルビーアトモス用に作った作品ならどうなるんだろう?」という想像はちょっとしちゃいますよね。

George ただ、そうなると、もう「これ以上どこまで進化するの?」という感じですよね(笑)。こうなっちゃうとぼくらが今まで考えてきた音楽と別物になりますよね。どうしてもぼくらは視覚的には対面で考えるので、左側にあの音を置いて、右側にあの音をとか、ここはちょっと左右で振りたいなという考え方でやってきたんですが、それが上も下も後ろも前もとなっちゃうとやり直しだな、みたいな(笑)。今までの考えがちょっと通用しないのかなという。

富澤 頭の固い考え方かもしれないですけど、耳は左右で2つじゃないですか。人間が進化して耳が増えれば、もっとドルビーアトモスを楽しめると思うんですけど(笑)。ただ、そういう聴感的なものだけじゃなくて、スピーカーからの空気振動を耳だけじゃないところでどう感じさせられるかというのがひとつのテーマになってくるのかなと思いましたね。右と左から鳴っている音楽やモノラルで真ん中から鳴っているオーソドックスな音楽とはまた別な感覚で音を楽しめるという。今日、このアルバムの最新ミックスをドルビーアトモスで聴いたばかりで適切な言葉がパッと出てきませんが、とくに音楽マニアの方にはぜひ体験してほしいなあというのは思いました。好みもあるだろうし、いろいろな感じ方はあると思うんですけど、経験して損はないと思いましたね。



George ドルビーアトモスの金字塔みたいなアルバムってあるんですかね? 例えばドルビーアトモスに振り切った音源がヒットする……ヒットするというのがどういうことなのかわからないですけど、「ドルビーアトモスと言ったらこのアルバムだよね」というものが出てきたら、今後100年くらいの音楽はまた未来に行きそうですよね。例えば、モノラルからステレオの時点で相当な衝撃だったと思うんですよ。ドルビーアトモスみたいなものが出てくると、ステレオからドルビーアトモスみたいな、そういう価値観が生まれてくるのかなと思いますね。でも、これは作る方は難しいですよね。

富澤 そうですよね。さっきも二人で話していたんですけど、作る側は大変だなと(笑)。ステレオミックスでさえものすごく思案して、バランス・音量・音質・位置・質感・その他もろもろを決めていくんですけど、ドルビーアトモスのようにこれだけ可能性が広がると時間は相当かかるというか。

George 逆に音数が少ない音楽のほうが効果的かもしれないですよね。ピアノとストリングス3本とか。そうすると普段はシンプルに聴こえてたものがもっとこう立体的に聴こえるようになるように思います。それによって楽器の印象とか変わる気もしますね。そういうところからどんどん派生していって、このシーンが面白くなるのは見たいですけど、ただ、ぼくにはちょっと時間が足りないですね(笑)。こうなってくると悩む箇所が多すぎるんですよね(笑)。

―― ドルビーアトモスにこういうジャンルは合うというのはありますか?

George それこそ現代美術じゃないですけど、アートの世界でこういうものが進化していって、そこに音楽が入っていっても楽しめると思うんですよ。あとはオペラとか聴いてみたいですね。合唱じゃないですけど、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」をドルビーアトモス用にミックスするとどうなるんだろう? と想像しながら聴いていたんですけど。

富澤 聴き応えがありそうですね(笑)。そうやって考えると、ビートルズの音源じゃないですけど、バージョン違いみたいなのが無限にできちゃいますよね。制作側としては気が遠くなる話ですけど、聴く側としてはいろんな聴き方が出てくるので、それはそれで面白そうだなあという気がしますけど。

George あとはエレクトロニカとかですかね。例えばクラフトワークが映像とこのサウンドシステムでやったら、世の中、おかしなことになりかねないですね(笑)。

―― たしかに(笑)。

富澤 そういう意味ではデジタルの制作環境で作るものと相性がいいんじゃないかなという気はしますよね。ひとつひとつの要素のセパレーションが強い音楽というか。クリアに分離して分かれた音を新しいイメージで自由に構成していくというか、そういう面白みもあるのかなあと思いますね。

―― 『Band On The Run』も真ん中のバンドサウンドよりもストリングスやコーラスの広がり方がすごかったですからね。

富澤 そういうもののほうが露骨にわかるというか、「Nineteen Hundred and Eighty-Five」のラストの一番盛り上がったあたりのオーケストラが入っているところとか、バーっと広がってましたよね。

George だから「ドルビーアトモスで作ってくれ」と言われたときに、まず何を作るのかを考えるところから始めなきゃいけないんですよね。曲ができたあとの話になってくると思うんですよ。この曲がドルビーアトモスによってどうなったらどういうふうに面白くなるのかを考えなくてはいけないですよね。そういう意味ではちょっと数学的な感じがしますよね。



―― 例えばGeorgeさんがプロデュースしてきた音楽のなかで、これはドルビーアトモスで表現したら面白いなという楽曲はありますか?

George それを知るために「ドルビーアトモスだったらこのアルバム」というのを聴いてみたいんですよね。そうしたら基準ができるので。ぼくにその基準を作る役目はちょっと無理かなあ(笑)。『Band On The Run』を聴いて「なるほどな」とは思うんですけど、ドルビーアトモスのために作ったアルバムがあったとして、それを聴いて衝撃が大きかったら、それに向かっていけると思うんですよ。今はまだ想像がつかないですよね。

富澤 チャンスをもらえるんだったら、誰も作っていないようなドルビーアトモス用の音源作りに挑戦したい気もありますけどね。時間も労力もかなりかかるだろうし環境の面もあるとは思いますけど。既存のものをドルビーアトモスに当てはめていくやり方も面白いと思うし、今日も『Band On The Run』を聴いて十分楽しかったんですが、ドルビーアトモス前提で発想の段階から考えたものを作ってみたい気もするし、いろいろ客観的に聴いてもみたいですね。モノラルからステレオ、5.1から7チャン、9チャンみたいに、同じ音源なのにこんなに違うという感覚をこれまでに体験できてることを考えると、音楽好きとしては生きててよかったなあと思いますね(笑)。ただこのドルビーアトモスを聴くと、もう一回戻って改めてモノラルものも聴きたくなりますね。

George それはわかります(笑)。

富澤 ビートルズもリマスター盤やリミックス盤が出て「今に合ってるしサブスクで聴くのにはこっちのほうがいいなあ」と一度は思うんですけどレコードはもとより「リマスター前のCD音源もいいところがあるなあ」みたいな。なんかぐるぐる同じところをめぐっちゃうというか(笑)。だから、元々いい音、いい演奏で作られたものはかたちを変えて聴き続けられる包容力の大きさをあらためて感じますよね。作るときに今のかたちに当てはめて「今はこれだからこういうのを作ろう」というふうに考えるよりも、もっと根本的なところが大事になってくるというか。さっきも「ドルビーアトモスだと演奏者の一音一音の表現力とか録音状態がかなりシビアに問われちゃうね、バレるね」という話をしてたんですけども(笑)、翻って元々の音を発するところから誠実にいいものを作っておけば、後々にも愛され続けて、およそ人のためにもなる気がしましたね。

George 今日は勉強させていただきました(笑)。

富澤 今日『Band On The Run』をドルビーアトモスで聴いた体験が自分のなかで成熟するまで少し時間がかかるかもしれないですけど、後の創作活動に影響しそうだなという感じはしましたね。

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プロフィール
●富澤タク(グループ魂/Number the.)
ギタリスト/シンガー/コンポーザー/プロデューサー。2017年にアルバム『波とギター』リリース。2018年にシングル「誰のために桜は咲く」リリース。「ARABAKI ROCK FEST.」「FUJI ROCK FESTIVAL」「風とロックフェス 」をはじめビッグフェスに多数出演している。「Number the.」は『1st』、斉藤和義も参加の『ナイトソング』の2枚のアルバム、いくつかのシングルをリリース。阿部サダヲ、宮藤官九郎らとのバンド「グループ魂」にギタリスト、プロデューサーとして参加。NHK紅白歌合戦出演、日本武道館公演などを果たす。楽曲提供、プロデューサー、ギタリストとしては映画音楽や、「Char」「Puffy」「TOKIO」「畠山美由紀」「リリーフランキー」など様々なアーティスト作品に参加している。
■公式サイト:http://www.taku-tomizawa.net/

●George(MOP of HEAD)
2006年にMOP of HEADを結成。「FUJI ROCK FESTIVAL」「COUNTDOWN JAPAN」などの大型フェスに出演。また、DJとして「FUJI ROCK FESTIVAL」の2013&2014と2年連続でGAN-BAN SQUAREに出演する他、DOG BLOOD(SKRILLEX & BOYS NOIZE)初来日公演にてオープニングDJを務める。これまで楽曲提供やアレンジ、ライブ、レコーディング等に参加したアーティストはASIAN KUNG-FU GENERATION/BACK DROP BOMB/YOASOBI/向井太一/sumika/澁谷逆太郎(SUPER BEAVER)/Negicco/東方神起など多数。他にもHITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタルのオープニングやヤマザキナビスコカップ 決勝戦のBGM、ブルボン アーモンドラッシュのCM音楽などを手掛ける。 ■公式X:https://twitter.com/GeorgeMopofHead



ポール・マッカートニーが語る『Band On The Run』


「ザ・ビートルズを離れてからの僕のキャリアで一番良いレコードを作ってやろう」としか考えていなかった
―― ポール・マッカートニー

ロック史に燦然と輝く金字塔『Band On The Run』。ポール・マッカートニーのアイデアを詰め込んだ傑作を生んだ背景をポール自身が語る。なぜアフリカでレコーディングしたのか? メンバーが二人も欠けた状態でなぜレコーディングを刊行したのか? 失われたデモテープを記憶を頼りに作られたというエピソードやダスティン・ホフマンとのやりとりにはポールの天才っぷりが垣間見えてくる。



―― 史上最高のアルバムの一つに数えられる『Band on the Run』が発表から50周年を迎えました。まずは少しだけ、制作経緯に関するお話を伺いたいと思います。1973年当時、『Red Rose Speedway』が発表され、「My Love」と「Live And Let Die (007 死ぬのは奴らだ) 」がヒットするなどウイングスの活動はとても順調でした。それでもあなたは、敢えて変化を求め、アフリカでのアルバム制作を行いましたよね。これはなぜですか?

ポール・マッカートニー あのころはストーンズが『Exile on Main St. (メイン・ストリートのならず者) 』を作ったときみたいに、国を飛び出して南フランスでレコーディングするのが流行っていたんだ。つまり、どこかへ出向いてレコーディングをする風潮があったんだよ。僕も、当時所属していたレコード会社のEMIが各地にスタジオを所有していることを知っていた。それで、所有しているスタジオのリストをもらえないかと頼んだんだ。実際に目を通すと、そのリストはかなり面白かった。リオも一つの候補だったし、中国も候補として考えていたよ。そして、その中にラゴスの名前があるのを見つけた。「ラゴスってことは、アフリカか。いいね」と思った。アフリカの音楽やビートが大好きだったんだ。
 僕はこんな風にも考えていた。「リオに行けば、ラテンっぽさを取り入れられるかもしれない。ラゴスに行けば、アフリカらしいリズム感を取り入れられるだろう」ってね。いま思えば、あのときの僕はその考えにこだわりすぎていた。だって実際に現地に行ってみたら、ほとんど僕の思い描いていた通りにアルバムを作るだけだったからね。確かにいくつかの曲にはアフリカの音楽からの影響を少し取り込めたけれど、当初考えていたほどではなかったと思う。結局のところ、単に現地へ行って普段通りにウイングスのアルバムを作っただけだったんだ。でも、それはそれで仕方がないさ。リストに目を通して「アフリカ、いいね。ラゴスに行くなんて、冒険じゃないか。さあ、やってみよう!」と思ったんだから。

―― ラゴスへと旅立つ直前、ウイングスのメンバー構成は思いがけず変わることとなりました。その危機をどのように乗り切ったのですか?

ポール フライトの前夜に二人から電話があった。ドラマーのデニー (・サイウェル) とギタリストのヘンリー (・マカロック) から「僕らは行かない」とだけ伝えられたんだ。どうしてなのかよく理解できなかったよ。もしかすると、アフリカは遠すぎると思ったのかもしれないね。
 僕はだからといって「何てこった、考え直さなきゃ」なんて思うような人間じゃない。どこかへ向かおうとしているときは、当初の計画を曲げたくないんだ。だからそのときは、「ザ・ビートルズを離れてからの僕のキャリアで一番良いレコードを作ってやろう」としか考えていなかった。「デニーがギターを弾けるし、リンダも歌えるし、デニーも歌えるし、僕も歌える。ドラムはよく叩いているし、僕がやればいい」と思っていたんだ。
 とはいえ正気の沙汰じゃなかったよ。手に負えないような状況だった。ほかの人だったら諦めていただろうね。だって現地に着いたら、スタジオは半分くらいしか完成していなかったんだ。自分たちでなんとかするしかなかったけれど、そこにはデニー、リンダ、僕の三人と、ビートルズのエンジニアでもあったジェフ・エメリックがいた。
 可笑しいことに、帰国したらEMIから手紙が届いていたんだ。そこには「親愛なるポールへ。ナイジェリアではコレラが大流行しているから、絶対にラゴスへ行ってはいけない」と書いてあった。僕らはたまたま感染せずに帰ってこられたんだ! 出発前にその手紙を受け取っていたら、僕らは行っていなかったと思う。なんでもありのすごい時代だったよ。

―― スタジオが未完成だったんですか?

ポール アフリカでは素晴らしい音楽が作られている。でもあのころ、現地の人たちは当時の僕らほどスタジオ技術に精通していなかった。僕らはEMIが管理するきちんとしたスタジオを想像していたけれど、実際にはヴォーカル・ブースすらなかった。だけどある意味では、あのスタジオのちょっとした手作り感がアルバムを作る上での僕らの姿勢にも影響を与えたと思う。僕らはレコーディングの技術レベルをその環境に合わせて、アルバムを作り上げたんだ!

―― つまり、アフリカに着いた時点でウイングスのメンバーは減り、スタジオの環境も思い描いていたようなものではなかった。その上、強盗にも遭ったんですよね?

ポール スタッフの家を訪れたあと、「家まで送ろうか?」と聞かれたんだ。でも僕らは「夜空がこんなに綺麗だから、歩いて帰るよ」と言った。道に出てから気づいたんだ……忠告はされていたんだけど、僕らは命知らずだから聞く耳を持たなかったのさ! とにかく、僕らは歩いちゃダメだと言われていた道を歩いていた。僕のバッグにはカメラや、テープ・レコーダー、カセットが入っていて、リンダも撮影機材を持っていた。そのとき一台の車が近づいてきて、男が窓を開けた。僕は勝手に、車に乗せてくれようとしているんだと思った。だから「いいんだ。本当にありがとう。気持ちはとても嬉しいんだけど、歩いていくよ」と言って歩き出した。すると、その車も走り出した。地元の男たちが5、6人乗っていて、彼らは少し困惑したような表情に見えた。車はそのまま通りを進んでいったので、僕は手を振って「親切な人たちだね」と言ったんだ。そうしたら、その車がまた突然止まった。今度は全員が車から降りてきたんだ。一人はナイフを持っていた。僕は「なんてこった。待ってくれよ、乗せてくれるつもりじゃなかったんだ」と思わず口にした。謎が解けると同時に、僕はナイフを突きつけられたってわけさ。
 持ち物を全部渡してやると、彼らは車に戻っていった。車は急発進していったよ。でも道を間違えたようで、また戻ってきた。だから僕らは「まずい、戻ってきた。僕らを消すつもりだ!」とパニックになった。結局のところ、彼らは走り去っていって、リンダと僕は家にたどり着いた。僕らの家には老いた警備員がいたけど、あまり助けになるようには思えなかった。彼の装備は、南北戦争の時代から飛び出してきたようなオンボロのライフルだけだったからね。僕らは早々とベッドに入り「もう忘れよう」と言って、実際にそうしたんだ。翌日スタジオに入ると、スタジオの管理人にこう言われた。「きみたちは白人だったのが幸運だったよ。黒人だったら、顔を知られている可能性があるから殺されていたかもしれない」ってね。

―― 『Band on the Run』のホーム・デモが入ったカセットも盗られてしまったのですか?

ポール そうなんだ。自宅で録ったデモが入ったカセットは全部盗られたよ。もちろん、彼らはその価値を少しも分かっていなかっただろうし、何かの役に立つものだってことも知らなかっただろう。きっと、上書きして別の何かを録音したか、単に捨ててしまったか、空のカセットとして売ったかのどれかだろうね。いずれにしても、僕はアルバムの中身を一から思い出さなきゃならなかった。でも、曲を覚えておくのがジョンと僕のあいだでの決まり事だったから問題はなかった。あのころはカセットみたいな録音機器はなかったし、全部頭で覚えておかなきゃならなかったからね。「自分で覚えられないなら、みんなに覚えてもらえるわけがない」って二人でよく話していたんだ。

―― そうした様々な障害に苦しみながら制作した『Band on the Run』は、あなたのキャリアを代表する名盤になりました。軋轢や苦難がなければ優れた芸術は生まれない、と世間ではよく言いますが、このアルバムもその一例だと思いますか?

ポール うーん、そうだと思うよ。だけど、その考え方はあまり好きじゃないんだ。僕はできるだけ楽な方法を選びたいタイプだからね。そういうものが実際に物事に影響するのか、僕にはよく分からない。ただ、『Band on the Run』の場合は確かにそうだったっていうだけだ。逆の主張をすることだってできるよ。例えば、「Live And Let Die (007 死ぬのは奴らだ) 」はなんの苦労もなく完成した。スムーズに出来上がったのに、大成功を収めたんだ。それにザ・ビートルズの曲も、ほとんどは大きな緊張感もなく作ったものだ。緊張状態にあったからといって、良い曲が出来るとはあまり思わないよ。単に、張り詰めた感じのトラックが出来上がるだけさ。張り詰めた感じのするトラックを作りたいなら、それも良いアイデアかもしれないけれどね。

―― 多くの人は、『Band on the Run』をコンセプト・アルバムとみなしています。リスナーがそう考えるのは、同じメロディーが繰り返し登場するからだと思いますか?

ポール うん、きっとそうだね。知っていると思うけど、あのころはそういうやり方が流行っていたんだ。僕らが音楽活動を始めたころ、曲はどれも3つのコードで出来上がっていた。バディ・ホリーやエルヴィスの曲はとてもシンプルだよね。ザ・ビートルズとしてもそういう曲をよく録音していたよ。でも時が経つにつれて、曲自体が少々複雑になっていった。中には重層的なものや、組曲的なものが生まれ始めたんだ。例えば、曲の途中で展開がガラリと変わる、というようにね。シングル曲の最後に意外な展開を加えるとか、そういう捻りを加えるようになったのは僕らが最初だったんじゃないかな。フェード・アウトするところでどこからともなく"She's got a ticket to ride, and, I don't care, my baby don't care (彼女は列車のチケットを取ったらしい/でも僕は気にしないし、彼女だって僕を気にかけていない) "なんてまるで別のメロディーが出てくるのもその一例だ。そういうものが、コンセプト・アルバムの登場に繋がっていったんだと思う。僕らはLPというフォーマットであれこれ楽しんでいたんだ。
 通常、片面7曲ずつで計14曲を収録できたわけだけど、これは良い形式だったと思う。7曲聴いたら、レコードを裏返すあいだ、嫌でも休憩を挟むことになるからね。だから、一息置いてからB面に入ることも出来る。パート1、パート2に分かれているような感じさ。そのうち、僕らもそれを念頭に置いてアルバムを作るようになった。それまでより自由な発想で、「最後はこの40分の作品のフィナーレなんだから、それらしくしなきゃいけないな」なんて考えるようになったんだ。そのあと、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』ではさらにアルバム全体を一つの作品として意識するようになって、そのアイデアを突き詰めたら満足のいくものが出来た。でも僕は、その可能性を追求し尽くしたとは思っていなかった。だから『Band on the Run』にもその要素を少し加えたんだ。おかげで全体としての纏まりが出て、コンセプト・アルバムと呼ばれるようになったんだと思う。

―― リンダ・マッカートニーは『Band on the Run』の収録曲のほとんどで共作者としてクレジットされていますよね。二人で作曲に関して話し合うことはありましたか? また、歌詞は二人でピアノの前に座って書いていたのでしょうか? 二人でどのように曲作りをしていたのか聞かせてください。

ポール いや。どちらかというと、僕が曲を書いているとき、リンダがそばにいることが重要だった。行き詰まったとき、僕はいつも彼女に意見を求めていた。そうやって、二人で曲を完成させていたんだ。紙とペンを持って二人で座って、一から曲を書いていたわけじゃない。曲の大半は僕が書いていたけれど、誰かに手を貸してほしいとき、リンダがそこにいてくれたというのが実際のところだと思う。「これはどう思う? あれはどう? 別の表現はないかな?」なんて彼女に聞いていたんだ。そういう意味で、彼女は共作者としてクレジットされるに相応しい。聞けばアドバイスをもらえるのは楽しかったよ。彼女はジョンみたいなソングライターじゃないから、これは当然、彼とのコラボレーションとは別物だ。とはいえ、良き相談相手がいるのは喜ばしいことだ。二人で曲を作っていくのは楽しかったな。



―― タイトル・トラック「Band on the Run」での彼女のシンセサイザー・パートは素晴らしいですよね。

ポール 「Band on the Run」でのリンダのシンセサイザー・パートや、「Jet」での彼女のヴォーカルはそれぞれの曲に不可欠だよね。近年のライヴではウィックス (ポール・"ウィックス"・ウィッケンズ) がそのパートを再現しているよ。このころまでにリンダはミュージシャンとしてかなり成長していたけど、彼女はとても直感的に演奏するタイプだった。
 リンダのすごいところは、初めはほとんど何も知らないも同然だったことだ。まるで大学生のバンドみたいだった。「ツアーをやってみたい?」「うん、やってみたい」ってそんな感じだったんだ。でも、僕らはそのことについてあまり深く考えていなかった。友達を何人か集めて音楽を作ってみよう、というくらいの感覚だったのさ。ザ・ビートルズを結成したときも、そんな感じでしかなかった。ごまかしながらやっていくうちに、上達していったんだ。リンダの場合、あまり鍵盤楽器を弾いたことがなかったから、初めのうちは演奏もすごくシンプルだった。でも彼女は僕が教えたことをすぐに吸収していった。ヴォーカルのパートを用意すれば、彼女はそれを歌ってみせた。ちょっとは手を加えていたかもしれないけれどね。特に、モーグ・シンセは彼女のお気に入りだった。最近もまた流行っているよね! 彼女はああいう一風変わったものが好きだったんだ。
 僕らはいつも、リンダはパンク・ロッカーとしても大成できただろうって話していた。彼女はそういうエッジの効いた感覚を持っていたんだ。実際、僕らはあのころに自分たちでパンク・ロッカーとしての芸名を考えていた。彼女はヴァイオリンをもじったヴァイル・リン (卑劣なリン、の意) で、僕はナクシャス・フュームス (有毒ガス、の意) だ。それで何かをやったわけじゃないんだけどね。とにかくそうやって活動を続けていくうちに、彼女は多くを学んで、やがて本当に腕のあるプレイヤーになった。バンドに欠かせない存在になったんだ。『Band on the Run』のころには歌もすごく上手くなっていたし、歌声にも個性が強く出るようになった。それから何年も経ってマイケル・ジャクソンと仕事をしたとき、「あのハーモニーは誰が歌っているの?」と聞かれたのを覚えている。それで「うーんと、ほとんどは僕とリンダだね。あとはデニーも少し歌っているよ」と返すと彼は「そうなんだ、彼らはすごいね」と言った。活動を通して、彼女は自信を深めていったんだ。

―― 『Band on the Run』というタイトルに由来はあるのですか?

ポール もともとは曲のタイトルとして考えついたものだった。当時は"Desperados (ならず者) "とか"Renegades (反逆者) "とか、そういう名前の曲がたくさんあったよね。多分、何かから逃げ回っている人が多かったんだろう。70年代前半には、何らかの理由で社会から身を引いている人が多かったんだ。世の中にそういう雰囲気があった中で、"band on the run (逃走する集団) "というタイトルをつけるのはクールだと思った。この表現だと音楽の"バンド"だけじゃなく、脱獄囚みたいな仲間たちの集団とも取れる。そういう考えを集約して、『Band on the Run』というタイトルにしたんだ。



―― ダスティン・ホフマンから「この場で曲を書いてみて」と言われ、その挑戦を受けて作ったのが「Picasso's Last Words (Drink To Me) [ピカソの遺言]」だったというのは本当ですか?

ポール 「Picasso's Last Words」は挑戦を受けて書いたものだ。ダスティン・ホフマンに「何に関する曲でも書けるの?」と聞かれて、「分からないけど、多分ね」と答えたんだ。すると彼は「ちょっと待ってて」と言って上の階に行った。そして彼は、ピカソの死亡記事を持って下りてきて「そこにピカソの最期の言葉が書いてあるだろう?」と言った。ピカソが友人に遺したその言葉というのが"Drink to me. Drink to my health. You know I can't drink anymore. (僕のために、僕の健康状態を想って乾杯してくれ。僕はもう酒を飲めないんだから) "だったんだ。それでダスティンは「これを曲にすることは出来るかい?」と言った。僕はそのときちょうどギターを持っていたから、その言葉をメロディーに乗せて歌い始めた。彼は仰天して、確かアニーに対してだったと思うんだけど、こう言った――いまはもう別れてしまっているけど、アニーは彼の当時の奥さんだったんだ――。「アニー、こっちへ来て、これを聴いて! 見てくれよ! これを渡しただけで、曲にしちゃったんだぜ!」ってね。

―― 2022年のグラストンベリー・フェスティヴァルでは、「Band on the Run」をデイヴ・グロールと演奏しましたね。リリースからかなりの歳月が経ちましたが、このアルバムの功績や影響についてどのように考えていますか?

ポール 僕にとっては本当に喜ばしいことだよ。ザ・ビートルズを辞めてバンドを組むことにしたとき、僕は"何か別のことをしたい"という大きな目標を持っていた。でもそれは簡単なことじゃなかった。それまでずっとビートルズのスタイルで腕を磨いてきたわけだからね。だけど同じことを続けたくはなかった。だから、あまりにビートルズらしいサウンドは避けて、新しいスタイルを作り上げないといけなかった。それが最終的にはウイングスのスタイルになったんだ。『Band on the Run』を制作していたころには、それを完成させられたような気がしていた。ザ・ビートルズとはまったく違うものを確立できていたんだ。確かに、似ている部分はあったと思う。どちらも僕がやっているんだから、きっと仕方のないことだよね。それでも、ウイングスとしての独自のスタイルを確立できたんだ。それから何年も経って、ローリング・ストーン誌だったと思うんだけど、僕らは誰かのインタビューを受けた。そこで『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』の話をしていたら、その記者が「私にとっての『Sgt. Pepper's…』は『Band on the Run』です」と言ってくれたんだ。
 その世代の人たちにとっては同じくらい大切な作品なんだと思ったら、すごく嬉しくなったよ。彼らのような人たちにとって、ザ・ビートルズと同じくらい大切な何かを作り上げる――それこそが僕の目指していたことなんだからね。それと、言ってくれたように、デイヴ・グロールはグラストンベリーで僕と一緒に「Band on the Run」を見事に演奏してくれた。彼の歌は素晴らしかったし、しかも彼は僕のバンドと一緒にそれだけの演奏をやってのけたんだ。あの曲が人気なのは僕にとっても喜ばしいことだよ。あの曲は、当時僕らが成し遂げようとしていたことの"最終テスト"のようなものだったんだ。

―― "Got Back Tour (ゴット・バック・ツアー) "では『Band on the Run』の収録曲がたくさん取り上げられていますが、どれもいまの時代に合ったサウンドですよね。若年層のファンの中には、『Band on the Run』の50周年記念エディションを聴いて、「ポール・マッカートニーの新作は素晴らしいな」と思わず勘違いような人もいるのではないですか?

ポール どうだろうね。そのあたりは、あまり気にしていないよ。音楽の流行りも何周かしたんだと思うと少し不思議な感じがする。ファッションだって音楽だって何だって、流行が繰り返すものだよね。80年代にはディスコやテクノに人気が移ったけれど、いまでは原点回帰が進んでいる。みんな色々な楽器を使って、素朴なサウンドを作っているんだ。『Band on the Run』はそういう時代によく合っていると思う。だから、そうだね。「ポールの新作か。おお、今風じゃないか!」なんて思う人もいるかもしれない。



―― 『Band on the Run』の50周年記念エディションには、初収録となるアルバム全曲分の"アンダーダブド"・ミックスも収められていますね。"アンダーダブド"とはどういったものなのでしょうか?

ポール これは、いままで誰も聴いたことがないような『Band on the Run』だ。曲を作って、追加のギターなどのパートを足すことを"オーヴァーダブ"って言うだろう。このヴァージョンは"アンダーダブド"、つまりその逆の状態のものなんだよ。

INFORMATION


AL『バンド・オン・ザ・ラン』50周年記念エディション
2024年2月2日リリース
UICY-16206/7 3,960円(税込)
<日本盤のみ>
英文解説翻訳付/歌詞対訳付
SHM-CD仕様
<収録曲>
CD1:バンド・オン・ザ・ラン/ジェット/ブルーバード/ミセス・ヴァンデビルト/レット・イット・ロール・イット/マムーニア/ノー・ワーズ/愛しのヘレン/ピカソの遺言/1985年
CD2(アンダーダブド・ミックス):バンド・オン・ザ・ラン/マムーニア/ノー・ワーズ/ジェット/ブルーバード/ミセス・ヴァンデビルト/1985年/ピカソの遺言/レット・ミー・ロール・イット

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