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タカイリョウ(the twenties)のコラム「頭を木刀でやられたのかもしれない2」

タカイリョウ(the twenties)のコラム「頭を木刀でやられたのかもしれない2」
the twentiesのタカイリョウが1枚の写真とコラムでお送りする連載。
●プロフィール:タカイリョウ/大分県大分市で結成されたthe twentiesのvo&gu。現在は東京都に拠点を移し活動中。公式サイト:http://thetwenties.info/tw-wp/

第1回:「ウイルス 人 国 と本」

2020.04.06 upload

コロナウイルスが世界中で猛威を振るう2020年3月31日。ある本を読み終えた。すぐさま本を置き、風呂場の鏡へと向かうが、そこには細い目をした幸の無い長髪が映った。
「変わらん」。呟いた言葉は風呂場の角の角まで響き渡る。とてもキラキラとした表情に生まれ変わっているのではないかと期待をしていたのだが残念だ。ものの数秒で部屋へ戻った。

日々のほとんどを過ごす部屋の空気は相変わらず陰鬱で重たい。しかし、そこで暮らす男の覇気の無い皮膚を纏った外側からは想像もつかないほどに、男の内側はとても豊かで希望に満ち溢れた世界が支配し始めている。

世界が一変してしまうような出逢いが稀にある。
たった今読み終えた本は、自分の思考思想、形成してきたほとんどを粉々にした。
断崖絶壁の谷底を覗く様に頁をめくりその本を読み進めていると、突然背中をポンと押され崖から突き落とされたような気分になった。
「このまま地面に叩きつけられた時、自分はどうなってしまうのか……」。怪訝に思う気持ちの中、そんな好奇心と、薄っすら感じる恐怖も味わいながら、ゆっくりと本の頁をめくり続けた。

谷底に近づくにつれて、本の内容に対する不信感のそれとは異なる妙な心地良さが体の全身を纏ってくる。とても薄白く透き通ったオーラのよう。
そして谷底に叩きつけられた時、剣山の山に突き刺さったような傷みと、すぐさまそれを処置してくれる晴れ晴れと空気の澄んだ穏やかな世界がそこに広がっていた。

谷底から見上げても突き落とされた崖は見当たらない。ここは突き落とされるまで立っていた崖の上だ。漂う空気も部屋の白い壁もなんら変わらず澱んでいるが、それなのにすべてが生まれ変わったように活き活きと強い脈を打っている。今までの思考思想がボロボロに破壊されたことによる動揺はしっかりと強いままだが。

崖とか谷底とか何を言ってるんだ。そう思っただろう。読み返していておれもそう思った。やはり谷底で頭打ったのかな。まあタイトルも「頭を木刀でやられたのかもしれない」だし。でもほんとうにそんな気分だったんです。ええ。

ところで、本・音楽・アート・映画などとの出逢いにより、視界がガラリと一変してしまうような経験をした人は沢山いると思う。
14歳の少年がロックンロールと出逢いそれに取り憑かれたように、たった一枚の服を着ただけで世界がキラキラと輝き出すように、青空を突き刺さしたまま凛と立つ太陽の塔をみて心が大きく震えたように、快楽と刺激を織り混ぜながら映像と音でユーモアに見せ「ヘロインはセックスの1000倍気持ち良い」などと思春期真っ只中の若者に教えた映画のように、大きな刺激や衝撃を受けて世界が変わる瞬間は、自分も幾度となく出逢ってきた。
それは芸術文化だけでなく、人や動植物、自然との出逢いの中にもある。この世界に存在するすべてのモノが自分に影響を与える存在になり得るのだが。

少し話が広がり過ぎそうだ……
この場所でのコラム連載の話を頂いてから数ヶ月が経つ。今になってようやく第一回目を書こうと文字に向かったのはここからが主だったりします。

沢山の影響を受け生きる活力を与えてくれる文化芸術を、そこで生きる人達を、国は軽く見ないでいただきたい。そしてそれらが例え娯楽だとしても、そこには必ず隣り合わせで生活が存在する。不要不急なんてものも本来は存在しない。人が足を動かす時、必ずそこには意思があるし、今は今しかない。この世に存在するモノ全てに明日が必ずくる保証も一つとしてない。
ただ、目に見えないウイルスの感染拡大を防ぐために、当たり前ではない明日を当たり前の様に迎えるためには、それぞれがこの状況の中で考え、意思を持って行動する事がとても重要ではあると思う。
自分がやってるバンドはライブを自粛することにした。かなり辛い。だからといって「他の奴等も活動を辞めろ。外に出るな」とは思わない。これはメンバーそれぞれの意思による行動であり他者に向けたものではない。唯一向けるとするならば、おれ達がライブをすれば必ず来てくれるであろう人達に向けている。自分達を守ると同時に、その人達とその周りの人達の今を守る為にもそうしないといけないと思った。というかやはり今は家にいた方がいい。し、できる限りみんなにも居てほしい。

行動のなかにはもちろん政府の要請により生まれたものもあるが、投げっぱなしで当事者任せにする政府の対応には苛つきがおさまらない。それとは別の頭で冷静に考えないといけない世の中の状況にもとても疲れる。
政府のコロナでの対応により、それぞれ生活の中で生きる為にとる行動が今は二通り生まれてしまっているが、そこで考え下した決断は、当人(又はその元で動く、働く人)以外、誰も罵倒したり非難し責めることはできないし、現状するならば矛先はすべて政府にのみ向けるべきだ。
沢山の苦い思い出や失敗もあり、自分に今強く言い聞かせてるところもあるが、自分の意思にそぐわない行動を選んだ他人に向けて、罵倒、非難をしてもそこには何も生まれない。黒い影が残るだけだ。
今世界中が恐怖するウイルスは自業自得では完結できない。そんな状況でも生きる為になりふり構っていられない人が沢山いる。だからこそ政府の対応や資金援助はこの国すべての人に向けた極めて実用性のあるものであってほしいです。

勢いのままここに長々書いているので、何のゴールもなく終わりそうだが、ついこの前まであちこちでライブしてた日々も、京都で仲間とケンタッキーや寿司を囲み、ダラダラくだらない話をしてアニマルプラネットを見ながら寝るだらしない日々も、今はとても遠くに感じる。ただこんな状況でも一冊の本との出逢いがあったおかげで視界が明るくなり生きる活力が湧いた。改めて、こういう出逢いは毎日にとても大切なことだと痛感する。
それは自分が生きる場所でもそうであると信じている。ライブハウスの中にも、イヤホンから流れる音の中にも誰かの世界を一変する力があると。

このコラムが次またいつ更新されるのか自分でも恐ろしいほど分からないですが、その時はどうかコロナウイルスが滅亡していてほしい。霧の晴れない世の中ですが、心を塞がずご自愛下せえませ。生きましょう。私は自宅で綿の栽培を始めようかとおもっています。

2020年4月2日

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