MOVIE REVIEW
映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
2025.2.18 upload
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(2024年:アメリカ)
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド、ジェイ・コックス
キャスト:ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック、ダン・フォグラー、ノーバート・レオ・バッツ、スクート・マクネイリー ほか
公式サイト:https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown
2025年2月28日(金)より全国ロードショー
映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』はボブ・ディランのデビューの前日譚(1961年)から1965年のニューポート・フォークフェスティバルまでの4年間の出来事を描いた作品だ。主演はティモシー・シャラメ。監督はジェームズ・マンゴールド。この手の映画は、主役を演ずる俳優が実際に歌をうたうことが多いが、今作でもボブ・ディランの名曲をシャラメが歌唱している。映像がないサントラ盤だけを聴くと、さすがに違和感があるけれど、劇中ではシャラメの歌と演奏はなかなかイケていて、シャラメも(当然だが)ボブ・ディランになりきっていた。あとジョーン・バエズの役を演じたモニカ・バルバロの演技も見事だった。この映画を見たあとに、最初に聴きたくなったのは、ボブ・ディランではなくジョーン・バエズだった。
今作の面白いところはボブ・ディランのサクセスストーリーやラブストーリーを描いたものではないというところ。そういうシーンも出てこないことはないのだけど、主軸となるのは、パブリックイメージとの格闘を余儀なくされたミュージシャンの悪戦苦闘だ。これはもうミュージシャンに課せられた宿命というべきだろう。ミュージシャンに限らず、自分がやりたいこと、進みたい道と客や周囲のスタッフが期待することの狭間での葛藤はあらゆるクリエイターが少なからず抱えている。それがボブ・ディランがデビューした1960年代になると、現代よりも遥かに風当たりが強かった。例えば、カントリーミュージック出身のテイラー・スウィフトが派手なショウをやっても文句を言う者は誰もいない。ひとつの楽曲をあらゆるアプローチでリミックスして発表したりもする。ところが60年代において、それはご法度だった。ロックとフォークは完全に棲み分けられていた。(この映画にも出てくる当時の価値観でいうと)フォークミュージックとは、アコースティックギター1本で表現するものであり、プロテストソングでなければならなかった。たしかにそれを貫くかっこよさもある。しかしボブ・ディランはそうではなかった。
フォークにもロックンロールにも精通したボブ・ディランだが、たまたまアコースティックギター1本で世に出たものだから、新世代のフォークシンガーとしての役割を一気に背負うことになる。しかし当のディランはフォークシンガーではなく、「ミュージシャン」だった。そんなことはお構いなしに、フォーク原理主義の声に背を向けて、新しい音楽表現を求め歩を進める。ディランはバンドを引き連れてスタジオに入り『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』を、つづいて『追憶のハイウェイ61』を録音する。そしてこの映画のクライマックスでは……。『名もなき者』は、周囲のフォークミュージシャンやフォークフェスの主催者やフォークを愛する観客との軋轢を通して、ディランの、ひと所にとどまることを知らないミュージシャンシップやイズムを浮き彫りにしていく。
83歳になったボブ・ディランはバンドを引き連れて、今もなお全世界をツアーしている。ピアノの前に座り、もはやギターを手に取ることはない。過去の名曲は大幅にリアレンジされ、原曲のかたちをとどめていない。極端なことをいうと、歌詞を聴いて初めて「ああ、あの曲だ」とわかる、といった具合だ。60年代と違うのは、ディランにブーイングする客はいない。それどころかどの会場も満員で、ディランの歌に聴き入っている。2018年7月29日のフジロックでの圧巻のパフォーマンスは今でも忘れられない。そのときに思ったのは、ノスタルジックに浸る幸せもあるが、歩を進め続けるボブ・ディランを見る幸せもある、ということだ。そして、この映画を見たときに「なぜディランは、今、そういうパフォーマンスをやっているのか?」という答えを見つけることができた。ボブ・ディランは今もボブ・ディランなのだ。
『名もなき者』は作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、助演男優賞、脚色賞を含むアカデミー賞®️8部門にノミネートされている。日本では2025年2月28日より公開される。
(文=森内淳)
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■ BOB DYLAN